とある犬好きの話。
気が付けば三十路になっていた。
犬にして約3匹~2.5匹分だろうか。私がだらだらと生き永らえている間、数多のご家庭で愛されわんちゃん達が惜しまれ悲しまれ感謝されながら看取られていったのだろうと想像するとどうにも弱くなった涙腺が緩む。
そうしてまあ辛うじて見えてるけど見えないふりをしていた現実に気づく、というか、
いい加減対面させられる。
あっっぶねえ。私まだなんもやってねえ。
太宰治は「恥の多い生涯を送ってきました」と書いたが、
そんなもん生涯を送ってきたと言い切れるだけ主体性合っていいじゃんと思えるくらい、
私まだなんもやってない。(やばい)
あんまりろくでもないご家庭に生まれ育ち、あんまりろくでもない暮らしであった。
あんまりろくでもない事が続いたので、ちょっとこじらせてみたり、鬱って寝込んでみたり、
二次元に逃避してみたり、思い返せばテンプレアダルトチルディッシュであったように思う。
それを言い訳にしても仕方ないのだが、ちょっと思考停止がひどすぎる、
そうしてあんまりにも時間を浪費してしまったように思う。
私の輝ける20代は鬱って寝込んで終わっていた。
三十路にして思い返せるろくな想い出が無いのである。
やっべえなこれ。
その辺のわんちゃんの方が私より社会貢献度上やん…と自虐しても仕方ないので一度置いといて、
そんな時に思い出す英語のことわざがある。
『every dog has his day(どんな犬にも最盛期はある)』
英語圏では犬はよろしくない意味も含むらしいので、(違うかったらごめん)
どんなにみじめな負け犬にだっていい時代はあるんだよー、的な意味合いらしい。
ほんまかいな。
斜に構えて見た20代のとんがりっぷりをもはや維持できなくなった33歳。
(尖り続けるにも体力とか気力とかその他いろいろなものを消費するものね)
なんとなく、こう、自分に最盛期が訪れるのか試してみたくなったのである。
思えば大した人生ではなかったからこそ、
なにかしら1回くらいは身を投げ出して試すという経験くらいは手に入れてみたかったのかもしれない。
どんな犬にも最盛期はある。
それならば果たしてとある犬好きに最盛期は訪れるのだろうか。
ここに残すのは、そんなお話と備忘録ととてもささやかでしょうもないサバイバル冒険譚である。またの名を日記とも言う。